こんにちは、ひつじボッチです@・ω・@
今ちまちまと読んでいる本、「ユダヤ人の成功哲学「タルムード」金言集」の「ヘブライの王の助言」より、不幸感というものを個人的に考えてみました。
ユダヤ人の成功哲学「タルムード」金言集とは
国際弁護士である石角 完爾(いしずみ かんじ)さんの著書です。
石角さんが心身ボロボロな時に、あるユダヤ教の教えに出会い、感銘を受け、その後改宗のための試験や儀式等を受け、ユダヤ教に改宗したという方です。(ユダヤ教に改宗する際は超難関な試験があるらしく、それに受からないと改宗させてもらえないんだとか…)
そのユダヤ教の教えの元になっている教典が「タルムード」です。その中には、迫害や大量虐殺といった絶望的な経験から生き抜いてきたユダヤ人の教えや心の持ちようなど、今現代にも通じる知恵が色々な物語になって記されています。
この本では、膨大な内容の一部を日本語に和訳して、石角さんの解説と所感と一緒に載せてくれています。
ヘブライの王の助言のお話について
不幸を嘆く男
ある村に、毎日のように自分の不幸を嘆いている男がいた。男の言い分はこうだ。
「オレの家は狭いうえに、子どもが四人もいて、おまけに女房が太っているので、自分は毎日たって寝なければならない。ひどい話じゃないか。こんな狭い家に住むオレほどこの世で不幸な人間はいないだろうよ」
この不満を生きたヘブライの王は、男にこう命令した。
さぁ、皆さんなんて命令したと思いますか?
自分がヘブライ王だったらこう命令する
私が王様だったら、「ベランダで寝なさい」って言っちゃいます(笑)
屋根はあるし、雨と風は入ってくるかもだけど、レジャーシートで防げる!
洗濯物を干すくらいだから、狭くても1畳くらいあるから、足ちょっと曲げれば快適なんじゃないかと思ってしまいました。
とりあえずこのくらいで続きに行きましょう。
ヘブライ王の命令
「お前のその狭い家の中で、ニワトリを十羽飼いなさい」
王の命令にイヤイヤ従った男は、こう不満を申し立てた。
「女房と子どもだけでも足の踏み場もないのに、ニワトリ十羽をそこで飼ってたら、私は糞にまみれて寝よというのですか。前よりも不幸になりましたよ」
これを聞いたヘブライの王は、さらにこう命じました。
「それでは、ニワトリ十羽に加えて、羊を十匹家の中で飼いなさい」
男は王の命令だから従ったが、国中の人間に向かって、自分は王の命令のおかげで世界でいちばん不幸な目にあっていると、言い回った。
しばらくして、やっと王は「ニワトリ十羽と羊十匹は、家の外で飼って良い」と命令を変えてくれた。
次の日、男は王のもとに…
はい、一旦切ります。
皆さんがこの男だったら、どうしますか?
自分がこの男だったらこうする
「家の中、女房と子ども四人いても、家畜が入れるほど意外と広かったし、外に出したおかげで臭くもなくなって快適になりました。」と謝りに行くかな。
まず、立って寝るほどなのかと思ったら、家畜めっちゃ入るスペースあるじゃんってツッコミいれちゃいました。
ニワトリとヒツジ十頭入るって、少なくとも10畳くらい余裕あるよね…?いや、動物保護の観点からすると、もっと余裕があるスペースが必要だからそれ以上に空いてるじゃんか。
それで立って寝るほど狭いって言ってる男が誇張しすぎなんじゃないかと、めちゃくちやツッコミ入れてました。
あと、めちゃくちゃ臭いし不衛生だなんて色々突っ込みたいところですが、ひとまず続きに進みます。
男は王のもとへ行き、こう言いました
次の日、男は王のもとに、感謝の品々をもって駆けつけて、こう言った。
「私は大変幸せな男です。今や、私の家には家内と子供四人、広々と暮らせるようになりました。ありがとうございます」
この物語を読んで思ったこと
今自分が持っているものが素晴らしいものだって気づいていない状態が「不幸」と言うことが、このお話の教えなんじゃないかと思いました。だって家畜十頭と十羽が入る家って相当よ…?
日本の狭いスペースでコンパクトに住むことに慣れてるから故か、嫌味かなとも思えるほどスペースあるじゃんとツッコミが止まらないお話でした。
それか、この物語の不幸男は、周りと比べて自分が劣っていて「不幸」(周辺に住んでる人はもっと豪邸に住んでるとか)、もしくは理想の生活環境では無いゆえに誇張して不幸だって言っていたのではないかと、私は思いました。
現代社会で言うと、この男の言い分はこんな感じなのではと
- 自分は国内旅行しか行ったことないのに、Aちゃんは毎年海外旅行に行ってる。国内旅行しか行けない自分は不幸だ。
- 周りは結婚してかわいい子供とマイホームがあるのに、私は彼氏はいても独身で賃貸住まいなんて不幸だ。
- もっと美容や洋服にお金をかけたいのに、全然足りない!私不幸だ!
これは私も若い頃、なんでもやってもらって当然。してくれないと私は愛されてない。とか思ってた時は、悲しい気持ちで良く不幸を感じてましたね。
もっともっとと思う気持ちは、向上心があるという場合ではいいですが、今のあるものをないがしろにしたり、相手からもっともらおうとするという場合には、この男のように、恵まれてるのに不幸になってしまうのかもしれません。
幸せは、失ってから気づくもの
なんて言う言葉がある通り、今あるものを大切にしないと、それ以上のものどころか、全ていなくなってしまう。それが本当の不幸なんだということも、このお話では言いたいのかなと思いました。
以上、ひつじボッチでした@・ω・@
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